第537回二木会

<日時>        H19510日(木) <場所>学士会館

<参加人数>  88

<テーマ>      『日本の外交とODA』

<講師>        外務省国際協力局参事官 高橋 礼一郎 氏(S50年卒)





<運営/進行>  S.55年卒(GOGO会)間中紳介

<内容>

     講師紹介(司会及びS50年卒/野中氏)

 昭和55年に東京大学教養学部教養学科を卒業後、同年4月に外務省へ入省。経済局やアジア局南東アジア第一課、経済協力局技術協力課、大臣官房などを経て、昨年1月より現職。

 平成6年〜8年にフィリピン、平成8年〜11年に米国、平成15年〜16年にインドの大使館にも勤務。

 

(以下野中氏からのご紹介)

      高校時代は演劇部に所属。「ニヒルでダンディ」、ちょっと近寄り難い印象ある。

       (現在はODAの仕事ながら)2001-2003年までは、外務省の報道課長。当時、外務省は様々な不祥事が続出し、田中真紀子外相の「伏魔殿」発言等の内紛問題もあり、最も世間から注目を集め、「叩かれた」時代。

      (イメージとしてありがちな)「慇懃無礼」といったことは全くなく、弱者に対する目線を常に持ち、日本の外交を支える、誇るべき同期である。

 紹介者 野中氏

 

○講演

 (はじめに)

     1980年に外務省に入省し、27年を経過した。入省後10年たった時点で、東西冷戦が終結。さらに10年経って、いろいろな感慨を持つようになってきた。

     できるだけ率直に個人的見解も交えてお話するつもり。

 (戦後日本外交の前提条件)

     1981年春、当時の鈴木善幸総理が訪米し、「日米関係は『同盟』だ」との発言がトリガーになり、伊藤正義外務大臣が辞任する事態が起きた。『同盟』という言葉が政治的にネガティブに重要な意味合いを持つ時代であったが、今では、何故このような事態に発展するのか意味不明と感じる人が殆どだろう。(入省当時からすれば、)日本外交の前提条件、国民の受け止め方も大きく変わってきた。

     戦後の日本外交の前提条件は、

(1)  東西二極の冷戦構造(という、単純でわかりやすい構図)

(2)  日米安保が「唯一」の安全保障の仕組み(←当時外務省に「安全保障」の名がつく課は北米局にのみ存在)

(3)  (経済的には)GATT(WTO)中心の多角的自由貿易制度信奉*

(*GATTにも、地域的な貿易協定を認める条項は存在していた(第24条)が、当時はだれも関心を持たなかった。ブロック経済に繋がる道として、否定的な捕らえ方)

←上記3条件のもとでの、経済成長最優先が暗黙の国家基本戦略であった。

     これが、90年代以降になると、以下の外交的な側面でのパラダイムシフトが起きる。

(1)  冷戦の終焉

ソ連が崩壊し、「自由主義vs共産主義」といったイデオロギー外交が終焉を迎  え、市場経済中心主義が自明の原理となってグローバリゼーションが爆発的に広がっていく。軍事面では米国の圧倒的優位性が顕著になり、新たな地球規模の課題(テロや環境問題等)への取り組みが求められる。  

(2)  中国・インドの台頭とアジアの外交的重心の変化(アジアにおける日本以外の圧倒的に存在感の大きなプレイヤーの登場)

(3)  経済分野のグローバル化→WTO中心主義の終わり

FTA/EPAのネットワーク拡大、南北関係の変化(IT技術の発展による)

 

      →目に見える形で前提が大きく崩れた。

       これまで戦後レジームの中では、日本の「外交戦略」について問われることは少なかったが、この大きな変化の中で、日本外交はきちんと対応できてきたのか?(「失われた10年」となっていないか?)との問いかけ。

→今、この10年の変化をきちんと総括し、理念と現実のギャップを見極めた上で、ナショナリズムを適切にマネージ品柄、日本外交の理念を再構築していく必要がある。

 

  (今、日本外交に求められていること)

     理念と現実のギャップをよく認識する必要がある。

     例えば、(以前よりはまっとうな議論ができるようになったが)自衛隊のあり方について。「外交使節・公館の安全確保」の観点からすれば、大使館を守るのは、「軍隊+(特殊な)傭兵」のコンピネーションで行うのが、一般的だが、日本の場合、自国の武装集団がありながら全く役割を果たせない。PKOについても、本格的なPKO活動(治安維持を含む)はできず、今はゴラン高原に少数の派遣を行っているのみ。(←中国は1000名単位、カナダは既にこれまでのPKO活動により、200名以上の死者を出している)。

     日本に求められていることへ対応するためには、まずは「手持ちのカード」を見直し、何ができて、何ができないのか現実的に認識する必要がある。これをせずに「戦略」の話を進めてゆくのは、危ないこと。

     無意識の内向き指向の中で、(これを外に向かって隠すために)「外交戦略」をとなえ、自らを煽ることは、非常に危険。

     新しい「国際貢献」のあり方は、戦後60年で培った日本の「仕事」への国際社会の信頼感を真に活かす道をまっとうに考えていくことであるべき。

 

(日本のODA(途上国援助)の課題)

     日本のODAは、戦後の賠償問題から始まった歴史があることから、@インフラ中心、A借款中心、Bアジア中心といった特徴がある。

     「アジアの奇跡」と呼ばれる東南アジア諸国の経済発展を日本の(ODAによる)貢献と結びつけることをPR(強調)したいが、理論的裏づけはなかなか難しい。

(日本のODAがトリガーとなり)海外直接投資を呼び込んだことは、経験的には事実であるが、実証的な研究があまりなくうまく証明できていない。

・但し、1950-1970半ばまでのODA資金の投入総量は、アジアもアフリカもほぼ同額。

その後のアジア諸国の経済成長はすさまじいが、アフリカには、take-offした国が殆どないのも事実。(このことから日本の果たした役割をどう説得的に発信できるかが課題)

     2000年以降、世界の援助潮流に新たな動きが始まっている。

ExMDG(ミレニアム開発目標)、援助効果向上の為のパリ宣言、グレンイーグルスサミット/アフリカ開発への回帰)

     (こうした動きの中)日本の影響力低下が懸念される。(量と質双方の向上が必要との認識)

 

     (データ提示)

(1)  日本一般会計ODA予算の推移(19782007

2007=7293億円。ピーク時(97=11687億円)から約38%減少。

1978年以降段階的に継続して増額。97年以降、下降局面へ。2007年は、80年代後半頃の絶対値に戻る。)

2)世界各国が掲げるODA増額目標

MDG(ミレニアム開発目標)が立てられ、具体的な目標を立てて、2015年までに

実現することを先進各国が約束。

・日本以外の殆どの国は、対GNP(国民総所得)比0.7%を目標として、実現することを、政治的にコミットしている

・米国:「ミレニアム挑戦会計」を将来的に年額50億ドルまで増額

 (「9.11」以来、方針転換し、大幅な増額へ)

フランス:2007年までに対GNP=0.5%2012年までに同=0.7%

英国:2005年までに対GNP=0.4%2013年までに同=0.7%

ドイツ:2010年までに対GNP=0.5%2015年までに同=0.7% など

・日本は、2005年段階で対GNI(国民総所得)比0.28%で先進国22ケ国中17位。今後5年間のODA事業費は、(対2004年実績)100億ドルの積み増しを目指す。対GNP=0.7%目標は受け入れるものの、達成期限は留保。

(2)  主要援助国の取り組み状況

・絶対額は、2005年までは、米国に続き2位。日本は2011年までの「骨太の経済政策」の中で、▲2-4%/年で減じることとしており、2006年で、英国に抜かれ、2008年(日本がG8サミットの議長国の年)には、フランス、ドイツに抜かれ、5位となること確実な状況。

(3)(日本)形態別援助推移

       二国間の無償資金協力(1998年→2005年の比較)

       982005年で大幅に削減。50%以上削減した国は援助対象国142ケ国中、   

59ケ国(42%)。(Ex:フィリピン=77.2%、パキスタン=41.8%、ベトナム=8.8%、モンゴル=45.3%、インド=40.5%、ラオス=62.1%)

       国際機関に対する日本の拠出金(2000vs2006年)

国連開発計画(UNDP):▲24.9%(1位→6位)

国連人口基金(UNFPA):▲30.9%1位→5位)

国連児童基金(UNICEF):▲19.9%5位→7位)

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR):▲38.3%(2位→5位)

 

⇒これだけ減らして、外交に影響が出ないほうがおかしい。

     

(4)日本の対アフリカ支援の現状(2000年→2004年比較)

       2000年に日本が最大の援助供与国となっていた国=7ケ国

2004年には「ゼロ」へ

       対アフリカ支援の先進国全体の中での日本の占める割合(絶対額)も減少。

1993=7.2%/9.64億ドル→2004=3.4%/6.46億ドルへ)

 

   (途上国援助の新「日本モデル」提示のために)

     新たな途上国支援のモデルを提示するために何が必要か?

     まずは、目的の再定義を行う必要がある。国益(外交政策手段)vs人道配慮、(これまで援助の中心であった)アジアvsアフリカ、成長重視vs貧困削減といった観点からもこれまでの政策を再度考えなおす必要がある。

     手段も見直しが必要。(円借、無償援助、技術協力連携など)いろいろな制約をはずして、目的・案件にあった仕組みつくりも必要。

     例えば、JICA法の見直し。新JICAODA3つの手法(有償、無償、技術協力)を一元的に実施できるようになった。(これまで、JICAは技術協力、円借款はJBIC(国際協力銀行)、無償資金協力は外務省が管轄していたものを一元化)ADB(アジア開発銀行)とほぼ同額規模を扱える機関となった。これで、援助の手法にとらわれず、広い視野で案件を効率的に形成、実施することが可能になり、調査、ガイドライン、実施主体窓口も一本化できる見通し。

     ODAは「公共事業の延長」とのイメージ強い。動きが遅く、トラブル対応もうまくいっていないとの批判。二国間政府が約束したプロジェクトも閣議を経て承認、入札の手続きをとると、翌年へ持ち越されるケースが少なくない(単年度予算になじまないものも出てくる)が大蔵省に翌年繰越の許可を取り付ける必要性があるなど、手続きが大変。

     コスト削減努力も必要だが、入札に参加する企業の数は多くなく、日本企業のODAへの関心は減少傾向。(コストを下げるだけなら日本企業タイドをはずせば簡単だが、なかなかそうはいかない。)

     中国は、国際社会でのプレゼンス拡大をねらい、援助拡大指向が顕著。日本が育ててきたプロジェクトを中国に途中からとられるケースも出ている。(日本の対応に迅速性と柔軟性が必要との認識)

     援助のプロを育てることも重要。新JICAの設立は縦割りの専門家から、プロジェクトマネージャー的プロを育てるチャンス。

     財政が苦しいなか、やむを得ない面はあるが、現在の(削減)方針をこれからまた5年間も継続すれば、深刻な影響がでてくること必至。国民に対し、理解を求める活動、目に見える成果をPRすることも必要である。

     (理解得やすいアプローチとして)一つの可能性は、「国境を越えたアプローチ」。すなわち、単に2国間ではなく、関係国を束ねて開発するやり方を指向すること。

     現在動いているプロジェクトに「インドシナ半島東西経済回廊」がある。

これは、インドシナ半島をベトナム/ダナンから、タイを経由し、ミヤンマー/モーラミヤインを結ぶ全長1356KMにわたる幹線道路建設プロジェクト。もともとESCAP59年)の「アジアハイウエー構想」の一部で、ADBの「大メコン地域開発プログラム」として、ADBと日本が協力してやってきた。この道路を中心としたインフラ整備により、インドシナ半島の物流、貿易、投資を促進し、域内の経済開発と貧困緩和を図る目的。

     200612月にタイーラオス間の第二メコン橋が完成し、部分開通した。今後は、沿線の

経済区開発が望まれる。

 (一方、中国は、中国経済圏を拡大するため、「南北経済回廊」を推進。)

     今後の日本の途上国援助の一つのモデルと認識している。

 

<質疑応答>

Q:タイで軍事クーデターが起きたが、日本は何も言わず、EPA(経済連携協定)を結んだ。ミヤンマーの軍事政権に対する態度とずいぶんことなるが、これは「ダブルスタンダード」ではないのか?

A:タイは1930年代に立憲政治に移行して以来、殆どの政権がクーデターにより交代してきた歴史をもつ。90年以降クーデターがなくなっていたのに、今回の事態は「民主化に逆行する」という点では大きな問題であるが、国民の受け止め方もミヤンマーとは異なる。(ミヤンマーは1980年代終わりに、一度は選挙結果を認めたにも関わらず、それを覆して、軍事政権が居座った形。)単に、「軍事政権」という「くくり」だけでは判断できない問題。

 

Q:外交官を職業として選ばれた理由はなにか?外交官になった後、現実とのギャップは大きかったか?

A:「外国を相手に仕事をしたい」という思いがあったのは事実。(あらゆる仕事がそうであるように)現実とのギャップはたくさんあったが、25年以上たって振り返ると、それなりに面白い経験をさせてもらっており差し引き勘定は合っていると思っている。

 

Q:外交政策は何年先まで見ているのか?ODAを行うことによる効果は果たしてどのくらい継続すると見ているのか?

A:外交政策そのものは、「100年先を読む」必要があるのかもしれないが、現実的には国際環境はめまぐるしく変わって行く(きている)。変化に応じて常に政策を考えて行かねばならないと肝に銘じている。

ODAにのみ関して言えば、プロジェクトプランの経験則からは、概ねむこう5年程度を見越しているといった感覚。(確たる根拠はないが

またODAの効果については、相手の評価、考え方によるところもあり、難しい。

例えば、日本が橋を作ると、日本の存在感を示すために、日の丸を飾りたいが、「外国に頼らないと仕事ができない」という(屈辱的な)感情となってあらわれる国もあり、(日の丸を飾れば)逆効果となるケースもある。「日本の顔の見える援助」とよく言われるが、それぞれの国に合った形で、日本の貢献を認めてくれればよいのではないか。

 

Q:日本の外交の「思想的基盤」は?

A:例えば米国は「自由と民主主義、市場経済の展開」を明確に打ち出しており、援助にあたっては、マトリクスをつくって、点数化することすらやる。これも一つの考え方だが、日本の場合、戦後60年間育ててきたもの=「礼儀正しさ」とか、「仕事の質の高さ」といったものがトータルとして、尊敬を受ける要素。こうした日本の「仕事の仕方」は一つの「理念」ともいえるのではないか?(うまくPRできているかは?だが)

 

Q:MDG(ミレニアム開発目標)の現実はどうか?(形骸化していないか?)

A:現実的には様々な問題がある。一つは資金ギャップの問題。最近増えている援助の中には、「借金の帳消し」が多く含まれていて、この部分は新たな開発資金には回らない。

また例えば、就学率を上げるために小学校(ハード)を作っても、こどもをそこに行かせなければ、効果がでない。すなわちソフトを含めたコミュニティー開発支援の仕組みが必要。個々の対処療法だけで動いてもうまくいかない。

ODAには、「OWNERSHIP=援助を受ける側のイニシアチィブを大切にしよう」という考え方があり、ODAがうまくいっている国は、この考え方がうまく機能している。現実的には、途上国側の人材の問題もあり、なかなかうまくいかないのが実情。

 

 

                               以  上

第537回二木会

ニッポンの外交
〜「ODA(途上国援助)の現状と課題

 陽春の候、館友の皆様におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。

 さて、5月の二木会は外務省国際協力局参事官の高橋 礼一郎氏(昭和50年卒)を講師にお迎えし、現在携わられているODAについて、お話を伺います。
  高橋氏は昭和55年に東京大学教養学部教養学科をご卒業後、同年4月に外務省へ入省されました。経済局やアジア局南東アジア第一課、経済協力局技術協力課、大臣官房などを経て、昨年1月より現職に就かれております。  また、平成6年〜8年にフィリピン、平成8年〜11年に米国、平成15年〜16年にインドと、各国で大使館勤務もご経験されております。  中国への援助のあり方や日本のODA金額が世界3位に後退したことなどが報じられ、途上国援助についての関心が高まっている中、その現状と課題をお話頂きます。 また、講演前の交流会では「記憶に残るあの味(食べ物・料理など)」について、皆さまからお話を頂きたいと思います。
 多数の館友のご列席を、心よりお待ちしております。
 尚、出欠のご返事は5月4日(金)必着でお願い致します。

                          東京修猷会  会 長  藤吉 敏生  (S26年卒)
                                    幹事長 甲畑 眞知子(S44年卒)
1.テーマ ニッポンの外交〜「ODA(途上国援助)の現状と課題」
2.講師 高橋 礼一郎 氏(昭和50年卒)
外務省国際協力局参事官

3.日時 2007年5月10日(木)
午後6時 〜 食事、 午後7時 〜 講演
*食事を申し込まれた方は、遅くとも6時30分までにお越しください。
4.場所 学士会館
 (千代田区神田錦町 3-28)
電話 03-3292-5931
地下鉄東西線
 「竹橋」下車5分
半蔵門線・都営新宿線・三田線
 「神保町」下車3分
5.会費 3,500円(講演のみの方は1,500円)
70歳以上および学生の方は2,000円(講演のみの方は無料)